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歴史の散歩道
「蛤御門の変」に5人が出兵 2人が戦死


 NHKの大河ドラマ「八重の桜」が終わりました。

 「八重の桜」3/24では、「禁門の変=蛤(ハマグリ)御門の変」が放映されました。

 この門は、御所にある9つの門のひとつで、開けることが禁じられていた。

 ところが、それより100年ほど前の天明の大火の時に、公家たちを避難させるために初めて開けられたことから、あたかも「火に掛けられて口を開くハマグリのようだ」ということから、「蛤御門」と呼ばれるようになった。

 この事件は、前年に「尊皇攘夷」の策略をしたとして京都から追放されていた長州が、3千の兵を率いて上洛して、会津・薩摩などの「公武合体」派の約1万と、蛤御門の近辺で戦ったもの。

 この戦いで長州軍は敗れて265名の戦死者を出し、会津や薩摩など幕府軍も97名の死者を出したという。

 この戦いに寝屋川の市域からは、会津藩に5名が召集されて出兵した。その内2名が戦死した。

 会津藩主の松平容保は、幕府から京都守護職を任ぜられた際、役地料として河内の国、山城の国、和泉の国の一部、5万石を与えられた。(寝屋川市内では、小路・高宮・秦・太秦・国松・寝屋・堀溝・河北)

 召集兵は最前線で戦わされて、小路村の惣右衛門の長男・仙太郎(24歳)と、国松村の平兵衛(32歳)が戦死した。平兵衛には2歳の子がいたという。

 村は、「小路彦神霊」「国松神霊」の墓碑を建てた。

 権力者のつごうで犠牲になるのは、いつも庶民だ。

寝屋川生活と健康を守る会発行の「守る会ニュース」連載の「歴史の散歩道」より転載しました。
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